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2005年01月30日カテゴリー:パット・メセニー

The Way Up:初めて訪れた街を駆け抜けたところで、その街の何がわかるだろう?

待ちに待って、騒ぎに騒いでついに聴くことができたパット・メセニー・グループ3年ぶりの新作「The Way Up
Pat Methney Group / The Way Upとりあえず一度聴きました。一度「だけ」聴きました。

他の方も述べられているとおり、PMGのアルバムは聞き込むに連れて印象が変わります。「The Way Up」も、これから聴き込んでいくときっと自分の中の位置づけが変わっていく作品だと思います。

ですので今は「一回だけ」聴いた後の印象を、記録の意味も込めて書いておきたいと思います。

ちなみに今回は「マジ&超長文モード」です(^^;

「初めて訪れた街を駆け抜けたところで、その街の何がわかるだろう?」

それが「The Way Up」の私の第一印象です。

やはり1曲68分は、大きすぎる街でした。

初めて訪れた大都会を車で走り抜ける。
車窓には様々な風景が現れ、また消えていきます。

強く印象に残る建物や通りもあれば、特に感興を呼ばない街並みもあるでしょう。
名所・旧跡や観光スポットは目にした瞬間に心が躍るかもしれないし、ありきたりの風景は退屈さを呼び起こすかもしれない。

一通り街を経巡ってそこを後にしたとき、それらの雑多な印象が混然としたまま、その人にとってのその街のイメージが形作られます。

果たしてその人はその街を見たのだろうか?
そこを「知っている」と言えるのだろうか?

答えはイエスでもありノーでもある。

いろんな街を旅していると、まさにそんなことを考えます。

自分は確かにあの街に行った。あの街でいろんなものを見た。いろんな人と出会った。
じゃああの街をのことを「知っている」と言えるだろうか?
ほんのわずかな滞在時間で、その街の何を知っていると言えるのだろう?
滞在時間が長ければ「知る」ことはできるのだろうか?
所詮「旅人」というスタンスであるならば、何日が何年になろうが、「知る」ということはあり得ないのではないか?

では自分がその街を訪れたことに意味はない、とでもいうのだろうか?
もし意味がないとしたら、訪れる前には存在していなかった自分の中の「変化」はいったい何だというのか・・・

そんなとりとめのないことを考えたりするのですが、今の私はまさにそんな心境にいます。

The Way Up:これはいったい何なんだろう?
果たして自分はこれを「聴いた」と言えるんだろうか?

足繁く通えば、きっともっといろんなものが目に入ってくると思います。
最初は気付かなかった発見や、見落としていた細部にも目がいくでしょう。
その積み重ねによって、この街の印象が大きく変わることは十分予測できます。

でも、そもそも足繁く通わなければいけないものなのか?
一度素通りして目についたものだけで十分満足する。
そういう旅のあり方は許されないのか?

そんな反発を含む感情が、このアルバムに対する否定的な感想の第一の部分なのではないか、と感じました。

パットはどこかのインタビューで「15秒間のCM、8小節のメロディーだけで音楽が判断されてしまう。そんな時代へのプロテストでもある」といったことを語っていました。

「The Way Up」はまさにその狙い通りのプロテストたりえている、と思います。

ですが、聴き手は作曲者の意図通りに音楽を聴かなければならない、というわけではありません。むしろ作曲者の意図とは違う受け止め方をすることによって、作品の価値というのが形作られるのだと思います。

作品は作者が作るのではなく、作り手と受け手との相互のやり取りの中でこそ完成される。このような主張をしたのはロラン・バルトだったと思いますが(ちゃんと読んでないのでうろ覚えですが(^^;)、私はこの意見に賛成です。

しかしこのアルバムは、そのような受け手の自由をかなり制限しているように思えます。作者の意図通りに全体1枚を通して聴かないと見えてこない。そこに反発する人がいても全く不思議ではないと思います。

「自分は長年のパット・ファンで、すべてのアルバムを聴いてきた。そしていつもパットの音楽は常に、ただ聴いているだけで私を楽しませてくれた。しかしこのアルバムはそうではない。私にとっては『Zero Tolerance for Silence』同様に全く価値のないアルバムだ」と、ある人が海外のPMG-MLの中で発言していました。この感覚は非常によくわかります。もっとも私は「ゼロ・トレ」は案外嫌いじゃないんですが(笑)

次に「これまでの焼き直しだ」という批判。
実は私も感じました。

新しさがない、という気がします。これも今後の聴き込みで変わってくる可能性もありますが、現時点では新しさを感じませんでした。

1曲68分という構成は確かに今までなかったものです。でもこれはコンセプトであって、音楽的な新しさにはなっていない気がするのです。

確かにググッと心に引っかかってくる箇所がいくつもあります。でもそれはこれまでのPMGが持っていたものと同質だと思うんです。

「ここいいな! でもこんなの前にもなかったっけ?」とどうしても思ってしまいました。唯一サンチェスのリズムは「何かが違う」と思わせる瞬間がいくつかあったんですが、私には曲そのものの新しさは感じさせてくれませんでした。

「Are You Going with Me?」や「ファースト・サークル」、「ミヌワノ」、「サード・ウインド」etc, etc... これらは新しい曲だったし、今でも「新しい音楽」だと思うのですが・・・

それから細かい点ですが、エンディングが腑に落ちません。あのリフレイン、必要でしょうか?

パターンとしては「To The End of The World」や「The Roots of Coincidence」らと同様、一度高く高揚させた後にスッと落とし、余韻を延ばす、という形ですよね。

「To The End ~」の方は納得なんですが、「The Roots of ~」のエンディングは嫌いなんです(笑) ギターのハーモニクスのリフレインだけでいいのに。なんであそこにスティーブのボウイングを重ねて延々引き延ばすんだろう? と今も思っています。同じことを「The Way Up」のエンディングに感じました。

余談っぽいですがもうひとつ。アルバム通しての最大の山場はパート3のヴォイスパートだと思うんですが、あれ、ボナですよね?(笑)
ライブは大丈夫なんでしょうか?(笑)

かなり否定的なことも書きましたので、「じゃあ結局このアルバムはダメだったの? 嫌いなの?」と思われるかもしれませんが、実はそんなことないんですよ(笑)

これまで書いてきたように納得いかない点があったことは確かなんですが、今は早くもう一度聴きたくてしょうがないんです(笑)

とりあえず一旦素通りしたこの街をもう一度訪れて、もっとじっくりと歩いてみたい。細心の注意を払いながら、できるだけ多くのものを目にしたい、焼き付けたい。さっきからそんな気持ちで、早くこれを書き終えたくてウズウズしてるんです(笑)

それはやっぱりなんだかんだいってもPMGのファンだから、というだけのことなのか、それとも、一度素通りしただけでも、意識に明確に昇っていないレベルでとらえていた「何か」が、潜在意識に潜んでいて自分を呼び戻そうとしているのか。

それはこれから繰り返し聞いていく中で明らかになってくるのかもしれません。何かが見えたら、また、書きます。

投稿者 Kota : 2005年01月30日 05:00
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トラックバック時刻: 2005年01月30日 18:13

コメント

初めて訪問する町の情報を事前に収集する人、ほとんど全く予備知識なしに訪問する人、といろいろだと思います。
楽しみ方は人それぞれで、どちらもそれなりの面白さがあるでしょう。
今回、私は本来なら仕事なのに大阪公演へ行ける、という僥倖のために、3ヶ月の間、事前に街の歴史や名所・旧跡、観るべき箇所を事前にチェックしようと思いつきました。

26日の夕刻の到着以来、昨日28日頃まで何度か通して聴いた後、昨日からは、4つの区画を一つづつ分けて聴いています。オープニングを立て続けに10数回聴いて、メロディや展開が自分の中ではっきりしてきたら、街の情景が浮かんできたり、今までの自分の経験した街やその街での人との出会いなどの出来事を思い出したりするのではないかな、と。
なんとなくでもその区画の雰囲気がつかめたら次の区画に移動して・・・最後にまた全てを通しで聴いた時に、最初とはまた違った印象を与えてくれるでしょう。

「Last Train Home」や先日話題になった「Wherever You Go」など聴くたびにいろいろな情景が思い浮かんできて、温かい気持ちにさせてくれます。この「The Way Up」という街もたくさんの良い思い出を残せるように、と思いながら生きたいです。

投稿者 longrow1967jp : 2005年01月30日 12:34

通行人や旅人の知ったようなコメントに、なにも知らないくせにと忸怩たる思いを抱いたり、逆に自分自身こそ何一つわかっていなかったと愕然とすることは・・・えぇ、あるさ! よくありますともw
一方、passing byしてゆく側としての自分は、通り過ぎる度に見つけた新しい側面に喜びを感じていて、もしそこの住人にこうだよとオープンに教えてもらえるなら、その出会いを喜びたい。旅人である限り、完全に理解することは出来なくとも新たなる出会いがいつも自分を次のステップに連れて行ってくれる。

ところで次回のPMGのライブはどうなるんでしょうねぇ

投稿者 takaokay : 2005年01月30日 17:35

#コメント書いてる最中にFirefoxがフリーズしました・・・かなりショック・・・

>longrow1967jpさん
こちらにもコメント頂きありがとうございました。

>3ヶ月の間、事前に街の歴史や名所・旧跡、観るべき箇所を事前にチェックしようと思いつきました。

私も4月のライブまでにできるだけ体に染み込ませておきたい、と思っています。今日は一日中ヘビーローテーションでかけ続けました。

>昨日からは、4つの区画を一つづつ分けて聴いています。

なるほど、ローラー作戦とでも言うべき聴き方ですね!
それも手ですね。
でも4つでなくもう少し細かくトラックを割ってくれていたらもっとよかったかも・・・

パット自身も「4つのCDインデックスに特に意味はなく、1つでも16個でもよかった」って言ってましたし。

>最後にまた全てを通しで聴いた時に、最初とはまた違った印象を与えてくれるでしょう。

そうですね。きっと違う世界が広がっているでしょうね。
私も少しずつ「The Way Up」という街の地図が自分の中に描かれつつあるのを感じています。

丁寧なコメント、ありがとうございました。

>takaokayさん
まいど。コメント&トラバありがとうございました。

社長さんも会社設立以来海外行きが多くなってるから、いろいろ異国の地で思うこともおありでしょうね。

せっかくブログ立てたんだし、IT事情絡めてインド訪問記を小出しにして連載していったらどうッスか?

インド旅行記っていうとバックパッカー系か最近のITビジネスレポート系のどっちか、って感じがするから、両者の中間的なところを狙うと面白い気がするんですけど、どうでしょ?

>ところで次回のPMGのライブはどうなるんでしょうねぇ

これならライブでの再現はいけると思います。
・・・っつってもオレが演奏するワケじゃないんだが(笑)

ただ、このエントリーにも書いたけど、一番盛り上がる箇所のメインヴォイスはボナだと思うんだよね(笑)
そこはどうすんだろ?

アルバムには未参加だけど、ツアーのサポートとして参加するナンド・ローリアというのが結構ヴォイスもいいらしいんだよね。オレは聴いたことないんだけど。

曲調もPMGに似たところもあって、PMGファンと彼のファンは結構かぶっているらしい。

ちょっと聴いてみたいけど、オレは社長さんのように気軽にほいほいCD買える身分ではないので・・・

・・・いや、暗にキミに購入してもらいたいと言ってるわけでは・・・あるんだが(笑)

パートとしてはセカンド・ギタリストとクレジットされてるけど、ヴォイスは彼もやるのかなぁ、と想像してます。ヴーちゃん一人じゃムリだと思うんだよね、やっぱ。他のヴォイスパート曲もあるし。

ま、これからもときどきここを覗きに来てやってください。よろしく。

投稿者 Kota : 2005年01月30日 23:39