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2005年01月21日カテゴリー:世相

新聞社説執筆までの議論公開

今日は午後からお出かけであまり時間がないので、必殺「他力本願モード」にしたいと思います(^^;

北海道新聞の現役の報道本部次長さんが個人でやってらっしゃるブログ、
「札幌から ニュースの現場で考えること」に
「社説執筆までの議論を公開することは?」という記事があります。

要するに、新聞社として右だ左だなんだかんだと立場、スタンスはあるだろうが、論説委員個々人には意見の相違があるはずで、社説の完成までにはそれなりに紆余曲折があるだろう、と。それを公開してもいいのではないか、という提言です。

私もこの案に賛成です。

NHK問題で朝日が取材の過程を一部公表しましたが(内容が足りないとか正確ではないといった批判はありますが)、こうしたオープンさはこれからもっともっと重要になってくると思います。

特に社説については、「こういうデータを提示し、こういう異論を唱えた論説委員もいる。またこのような考えに基づいて、最後まで同意しなかった論説委員もいた。したがって全会一致ではないが、大多数の委員の総意として、このような社説にいたった」というような過程があれば、読者に社説そのものや情報の判断材料をより多く示せるだけでなく、意見が違うもの同士の議論を許容する土壌の呈示もできると思うんです。

「ああ、意見が違っていても、ののしり合いやケンカ腰にならずに議論することはできるよな」という空気を広める、というか。

それに新聞社側にとっても、「組織が硬直しておらず、個人を尊重する自由な社風なんだな」というアピールになって、イメージアップになるのでは?

「それでは我が社の社としての主張にならん!」と言う経営陣もいるかもしれませんが、ぶっちゃけ「社としての主張」なんて読者は求めてないんじゃないっすか?
実際社説ってあまり読まれてませんよね?

個人的には、なんかこう「社としての統一された意見」なんてのは、社員全員に全体主義的な言論統制強いてるようなイメージがするんですよね。
全体主義とか言論統制なんてのはまさにマスコミが最も忌避して打破すべき対象だと思うのですが。

もちろん社説によっては社全体である程度同意でまとまるケースもあるでしょうが、モノによっては不自由さや窮屈さを感じてる記者もいるんだろうなぁ、という気がしてなりません。

少なくとも「左の朝日」「右の読売、産経」みたいな紋切り型イメージを与えるよりもよっぽどいいと思うんですが。

ウォーターゲート事件にしても最近のブッシュ政権の内幕ものにしても、アメリカのジャーナリズムは政権中枢の国家政策決定過程まで報道してますよね。

日本でもせめて自社の内部ぐらい、もう少し報道してくれてもいいのではないでしょうか?

投稿者 Kota : 2005年01月21日 12:01
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私のブログにトラックバックを送ってくださる「りゅうちゃんミストラル」さんのホームページに、 国旗と国歌についてと題する文章があった。「国旗と国歌について200... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2005年01月22日 05:12

» 新聞の社説執筆までの議論を公開してほしい。 from りゅうちゃんミストラル
私が書いた文章から、新たな日記を書く人がいれば、それは私にとっても嬉しい。私は、フリーページで新聞の社説ができるまでの過程を公開してほしいと書いた。もともとこの... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2005年01月29日 16:09

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トラックバック、ありがとうございました。私からもトラックバックを張らせていただきました。

投稿者 高田 : 2005年01月22日 05:11