« マーカス・ミラー新譜発売予定 | メイン | マイク・スターン・バンド at Blue Note Tokyo! »
2005年01月16日カテゴリー:世相
ちょっとサボり気味に(笑)NHK問題
昨日はライブ、今日は後でアップするライブのレポートで忙しく(笑)、ロクにニュースも見てないのでイマイチフォローできてません。すいません。
私の考えに非常に近く、またこの数日の動きもよくまとめられているので、再度「うたたねの記」さんにリンクを張らせてもらいます。
他力本願ですいません(^^ゞ
事実検証がさらに重要なポイントになってきたのは確かなようです。
ですので今後の推移によって考えが変わったり、当初のここでの発言を訂正する必要が生じるかもしれませんが、今の私のスタンスは以下のようなものです。
「番組そのものの問題」と「政治の言論への介入」はまずは切り離して考えるべきで、個人的には後者の方が重要な問題と考える。
番組そのものが問題だと思う人は批判をするべきだし、そのような番組を制作したNHKへの批判もどんどんすべきだと思う。
しかし「問題がある番組なのだから、職業が政治家であってもその前の一個人として、その番組は問題だ、と指摘するのは構わない」という意見も見るが、それには賛成できない。
いくら「これは一私人としての意見だが」と断ったところで、一方が権力を有し、明確な上下関係がある間柄では、それは単なる「お飾り」にすぎず、受け手は「本来意に添わない意見」であっても従わざるを得ないだろうから。
だから仮に左右が逆転したケースでも、私は同じように考える。
ある放送局がたとえば従軍慰安婦を全面否定した番組とか、天皇の戦争責任は一切なかった、というような、いわゆる「左」が容認できないような主張をする番組を制作し、それを事前に共産党なり社会党なりの議員が差し止めさせたり改変させたならば、その議員の行為は検閲で、許すべきではないと思う。
そして番組そのものが「非常に偏向している」と思った人は、そこへの批判は別個にするべきだと思う。
「番組そのものがひどかったんだから止めさせて何が悪い」という反論は、私はやはりエクスキューズにはならないと思う。
また、もっと極端なケースの場合、寝太郎さんのとこへのコメントにあったように、たとえばナチス礼賛とか金正日体制礼賛などの場合。これは正直悩むところだけれども、やはり現実性が乏しいと思う。
そこまで妄信的でバカなマスコミはさすがに今の日本にはないのではないか、と。
そして万一そういうものが放送されたら(あるいはこのような極端なケースだけでなく、今回のように「偏向」と受け取る人がいる番組を放送する放送局は)、あくまで世論によって放逐されてほしいと期待したい。
この問題はすでに話が多岐に広がっていて、あんまり大ざっぱに語ると「漏れ」が多くなってしまうのだけれど、すべてをフォローしていくわけにもいかないので、とりあえずこんなところで。
それと今日のニュースで、
これが今回の件とどう関係するのか、犯人は誰なのか、まだ不明のようですが、もし今回の件に対する反応だとしたら、あってはならない行為だと思う。
言論に対して暴力で応酬するのは民主主義の完全な否定だから。
寝太郎さんはNHK問題と一緒にボルテールの名言をエントリーしています。
「私はあなたの意見に反対だ。しかし、私は命を賭けてあなたがそれについて発言する権利を守るであろう。」
この精神が民主主義の根幹だと思います。
まあ私はボルテールほど人間ができてはいないので、単なる煽りと判断したコメントは容赦なく削除しますが(笑)
投稿者 Kota : 2005年01月16日 22:18
←1日1回1クリックして下さるとウレシイです(^^ゞ
←できたらこちらもクリックよろしくですm(__)m
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://redsky.under.jp/cgi2/mt/mt-tb.cgi/32